コラム

人文学の研究は「役に立たない」「必要のない」のか

 哲学はじめとした人文学が一体何の役に立つのか、必要ないのではないかといった言葉を残念ながらよく耳にします。生活必需品の生産や直接的な利便性の向上という意味で役に立つのかと言われれば、確かに役に立たないと言えるでしょう。

人文学は例えるなら「土」のようなもの

 私としては、人文学の研究は土作り、土の管理なのではないかと思います。

 人生でいかなる文学作品、小説、絵画、映像コンテンツにも触れたことがないという人はいないでしょう。あるいは、価値観や常識、倫理感、物の見方、そしてそうしたことを表現する言葉を無から作り上げ、用いている人もまたいないでしょう。仮にそんな人がいるとしても、私は残念ながらその人とは意思の疎通が出来そうにありません。

 そうした創作物を花や果実に、思考や言葉を幹に喩えるなら、その木が根付き、育つための土が不可欠であることは言うまでもありません。昨今では同ジャンルの先行作品だけを参考に生み出されたらしき作品もたびたび見かけますが、この喩えで言うなら切り花かブドウの房から一粒取って食べることのように思えます。良い木や良い果実を掛け合わせた新たな種を蒔くことなしに、「育つ」ものが産まれることはないでしょう。

 人文学が何の役に立つのか分からない、必要ないという人は、つまり花や果実を享受しながら幹に気付かず、土に思い至ることが出来ない人であるように思えます。

人間にとっての人文学の必要性とは

 土は先人の積み重ねです。今日豊かな果樹園は過去に様々な木々が生まれ、土になり、その結果育まれているものです。土そのものが花や果実に変化するわけではありませんが、土なくして種は芽吹きません。

 先人の生み出したもので光が当たっていないものに光を当てる。本来は滋養豊かなのに渇いてしまっているものに水をやる。育つべきものが育つべきことがわかりやすくなるように畝を整える。

 人文学はそうした意味で「役に立っている」のではないでしょうか。

2020年6月9日コラム,スタッフコラム

Posted by 村上 寛 Hiroshi Murakami


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